アイスホッケー選手としてドイツの
クレーフェルト・ピングーイネで
活躍する平野裕志朗さん。
AHLでは日本生まれの選手として
初のゴールを記録したことでも有名です。
最近ではバラエティ番組にも
出演することもあるけど
平野裕志朗さんってどんな人なのか?
平野裕志朗さんのプロフィールを
wiki風にまとてめ出身高校・大学、
プロでの活躍や背番号の由来、
さらにアイスホッケー以外の活動まで
徹底解説していきます。
読み終わる頃には
平野裕志朗さんの新しい魅力を
発見できるかもしれません。
平野裕志朗のwiki風プロフィール

・名前:平野裕志朗(ひらのゆうしろう)
・生年月日:1995年8月18日(30歳2025年現在)
・出身地:北海道苫小牧市
・身長/体重:188cm/98kg
・ポジション:フォワード(FW/ライトウィング)
・ショット:右打ち
・趣味:ゴルフ
・好きな言葉:夢は語るものではなく、掴むもの
父はアイスホッケー日本リーグ
古河電工の所属で活躍した平野利明さん。
お父さんの影響もあり
3歳にはアイスホッケーの
スケートを履いていたようです。
正式にプレイをスタートしたのは
小学校3年生の頃のようで
周りの選手と比べるとスタートが
遅かったと本人が語っています。
子供時代の所属チームは
駒澤ジェッツから王子ジュニアへ。
この頃の成績などは
細かく説明されているものがなく
所属のみしか確認できませんでした。
また、趣味がゴルフというのは
意外で驚きでした!
過去のインタビューから
ショットの改善のヒントを
ゴルフからヒントを得て
改善したと語っていました。
趣味の中でも
本業に活かすところは
第一線で活躍するプロならではの
エピソードですね!
平野裕志朗の出身高校

北海道苫小牧市で生まれた平野裕志朗さんは
苫小牧緑小学校→苫小牧和光中学校卒業から
白樺学園高等学校へ進学しました。
白樺高校スケート部愛しホッケー部門は
部員全員が八幡山にある第一合宿所に入寮し、
1年生から4年生が1人ずつの
4人部屋で生活を送るようです。
ここで自立した生活や
共同生活も学んでいたんですね。
こちらの白樺学園高等学校の
アイスホッケー部門の成績を調べたところ
全国選抜大会、インターハイで
優勝した経験があり
強豪校ということがわかります。
また、「練習はうそをつかない」をモットーにし
「精神・感謝・結束、日本一への挑戦」を合い言葉に
厳しい練習に取り組んでいると
公式に記載がありました。
高校時代の経験が後の
平野裕志朗さんに繋がっていることを
感じさせてくれる言葉ですね。
平野裕志朗は進学していなかった!

平野裕志朗さんは
白樺学園高校を卒業後、
大学進学はせずにアジアリーグの
東北フリーブレイズに加入しました。
海外挑戦制度を利用して
スウェーデンやアメリカの
ジュニアリーグに参戦。
NHLドラフトで
指名の期待もされていましたが、
結果は叶わなかったようです。
それでもNHLチームの
キャンプに参加するなど、
次のチャンスを模索していたのです。
・2016年9月にフリーブレイズの選手としてアジアリーグデビュー
・開幕戦で弾丸シュートを決めMVPに輝き、実力を証明
・10月1日のサハリン戦ではMVPスピーチで「ECHL挑戦」を自ら発表
アメリカへ渡り本格的に
トライアウトへ挑戦しましたが、
練習中に肩を負傷して
約1ヶ月半の戦線離脱を余儀なくされました。
それでも
「中途半端な状態で焦って再挑戦するより、
フリーブレイズで体を作り直そう」
と帰国を決断。
ファンからの温かい声援に支えられ、
再び氷上に立った時には
「言い訳はしたくない、悔しさを力に変えたい」
と語っています。
大きな挫折と復帰を経験したこの時期は、
平野裕志朗さんのキャリアにおける
大切な転機となりました。
挑戦を恐れず、
失敗から学び次へ進む姿勢こそが、
後のAHLでの快挙へとつながっていきます。
この熱い言葉からも
高校時代に培った精神が
活かされていることを
感じてしまいますね!
平野裕志朗の帰国から2025年現在まで

その後の平野裕志朗さんですが
再度海外でのプレーに挑戦しています。
2015年に
NHLシカゴ・ブラックホークスの
ルーキーキャンプに参加し、
日本代表としても
世界選手権や五輪予選に出場。
翌2016年には
サンノゼ・シャークスの
キャンプにも招かれました。
2018-19シーズンは
ECHLウィーリング・ネイラーズで
67試合19ゴール38アシストを記録。
2019年には
AHLウィルクスバリ・
スクラントン・ペンギンズと契約し、
日本生まれ選手初の
ポイントを獲得しました。
2020年に横浜GRITSへ加入後、
北米へ復帰しシンシナティ
・サイクロンズなどでプレー。
2022年にはAHLアボッツフォード
・カナックスで日本生まれ選手初の
ゴールを挙げ、2023年には
ユティカ・コメッツと契約しました。
その後もECHLアディロンダック
・サンダーや日本代表として活動し、
2024年にHCインスブルック、
2025年にはドイツ・クレーフェルト
・ピングーイネへ移籍。
現在も欧州で活躍を続けています。
日本生まれ初という快挙!
まさに日本のアイスホッケー界の
パイオニア的存在です。
平野裕志朗のアパレルブランド「SEKAHIRA」とは

平野裕志朗さんは、
選手としての活動だけでなく、
アパレルブランド「SEKAHIRA」を
プロデュースしています。
スポーツシーンだけでなく
日常でも着られるデザインをテーマに、
機能性と遊び心を兼ね備えたアイテムを
展開しているのが特徴です。
商品のラインナップは
スウェットシャツやロングTシャツ、
キャップなどのカジュアルな
アイテムが多いようです。
厚手素材や保温性に優れた裏起毛を採用し、
アスリート仕様の機能性も追求したものは
実用性が高いと一部のファンの中では
話題になっていました。
またVASALLO社とは
ホッケースケート用ソックス
共同開発コラボを実現。
こちらの商品も衝撃吸収や、
足首サポートが評価され人気な商品です。
さらにブランドのイベントでは、
直筆サイン入りグッズや
抽選イベントを行うなど、
自らファンとの交流を行っています。
ブランドロゴには
「傾けて見ると別の意味が見える」という
遊び心が込められており、
アスリートの枠を超えた
表現にも挑戦しています。
こうした取り組みは、
平野裕志朗さんが
「競技だけでなく
自分のライフスタイルも発信していきたい」
という想いの表れであり、
ホッケー界に新しい形で
貢献している活動といえますね。
【2025年最新】平野裕志朗のwiki風経歴!出身高校や大学を徹底調査!まとめ

ここまで平野裕志朗さんの経歴を
振り返ってきましたが
いかがでしょうか?
お父さんの影響で
アイスホッケーを始め
強豪校での厳しい練習を耐えた
高校時代…
その後プロとして活躍し
日本人初の快挙を成し遂げた
まさにパイオニアでした。
ホッケーを以外にも
アパレル事業に携わるなど
新たな一面も知ることができ
今まで以上に平野裕志朗さんの
魅力を感じることできました。
有吉ゼミなど
バラエティ番組にも出演し
さらに意外な一面にも
今後注目が集まりそうです。
平野裕志朗さんの
チャレンジ精神をこれからも
楽しみにし応援をしていきたいですね!
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