大分県出身で元上方落語家で、
お笑い芸人でもある月亭太遊こと後藤征平さん。
そんな後藤征平さんですが、
現在の活動に至るまでどのような
人生を歩んできたのでしょうか?
現在、気になる方も
多いのではないでしょうか?
そこで今回は後藤征平さんの
生い立ちから学歴や
経歴をwiki風にまとめて
解説をしていこうと思います!
過去を見ていくことで
現在の後藤征平さんとは
違う一面を見つけることができるでしょう!
後藤征平(月亭太遊)とは?プロフィールを簡単に紹介

| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 後藤征平 (ごとうしょうへい) |
| 生年月日 | 1984年4月21日(41歳・2026年1月時点) |
| 出身地 | 大分県竹田市(菅生地区出身との記述あり) |
| 血液型 | O型 |
| 所属変遷 | 吉本興業 → 上方落語協会 → 吉本福岡支社(エージェント契約)→ 現在フリー |
| 活動拠点 | 大阪 → 京都(2013〜2017) → 大分県別府市 → 竹田市(現在) |
| 家紋 | 月(落語家時代) |
| 出囃子 | 村祭(落語家時代) |
後藤征平さんは、
生まれも育ちも大分県竹田市であり、
芸歴のスタートは吉本興業の
NSC26期生としての芸人活動。
落語家時代は「月亭太遊」の名義で
活動していましたが、現在はそれを返上し、
本名もしくは「ひょうきんなおっさん」
として活動しています。

後藤征平さんは農家の長男として育ったと言われています!
自然豊かな山間部で育ち、
幼少期から地域の伝統文化に触れていたと語っていたそうですよ
後藤征平の学歴|出身高校・大学の有無を解説

後藤征平さんの学歴について、
公式に確認されているのは高校までです。
大学進学については明確な記録がなく、
芸人養成所であるNSC(吉本総合芸能学院)
に進んだことが知られています。
中学校についても学校名の公表はないものの、
出身地域から推定される情報があります。
ここでは一次情報に基づいた確かな内容と、
推測が含まれる情報を区別してご紹介しますね。
地元中学校の情報と考察
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 中学校名 | 公式には非公表 |
| 出身地区 | 大分県竹田市 (菅生地区) |
| 推定中学校名 | 竹田南部中学校(または同市内の近隣中学校と見られる) |
| 間接的根拠 | SNSにて「中学の先輩の家で作っていた」と姫ダルマ(伝統工芸品?)を作った発言あり(@taiyu1984) |
中学校に関しては一次情報での明示はなく、
本人も具体的に校名を語っていません。
ただし、竹田市菅生地区出身とする記述や
SNS投稿から、同市内の公立中学校である
可能性が非常に高いと考えられています。
公的な広報誌などにも
「菅生出身」との表現があり、
地域とのつながりは一貫しています。

中学校時代のあだ名は「ごっちゃん」と呼ばれていたようなSNSの投稿があったようです!後藤という名字から→ごっちゃんということでしょう!
大分県立緒方工業高校時代

| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 高校名 | 大分県立緒方工業高等学校(2008年3月に閉校) |
| 所在地 | 大分県豊後大野市緒方町(竹田市の隣接地域) |
| 卒業年の推定 | 2002年または2003年(生年1984年から計算) |
| 学科・専攻 | 非公表(工業高校のため機械・電子・建築系などの学科が存在) |
| 補足 | SNSで「高校時代の恩師」について触れており、卒業を裏付ける証言あり |
後藤征平さんが通っていた
大分県立緒方工業高等学校は、
かつて大分県に存在した県立工業高校です。
2008年3月に閉校となり、
現在は三重高等学校などと統合され
大分県立三重総合高等学校となっています。
この学校を卒業したとする記録は
一次情報で裏付けられており、
本人もSNS上で当時の恩師に言及しています。
具体的な専攻は
明らかになっていませんが、
工業高校の特色から技術系の
学びが中心であったと推測されます。

後に落語家転身後、彦八まつりの「落語家による大相撲」で優勝(四股名:元裸)するほどの体格と身体能力を持っていますが、これらは高校時代までに培った運動経験や体格に恵まれたと想像できそうです!
大学進学せずNSCへ

| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 大学進学 | 公式情報なし(進学していないと見られる) |
| 進路選択 | 高校卒業後すぐにNSC(吉本総合芸能学院)大阪校へ |
| NSC期別 | 26期生(2004年入学) |
| NSC同期 | 芸人「はだか電球」の結成相方・山下吉宗さん |
| 補足 | 大学に関する言及や記録は一切なく、進学の事実は確認されていない |
高校卒業後、後藤征平さんは大学には進学せず、
芸人を志してすぐに大阪に移り住んでいます。
吉本興業が運営する芸人養成所、
NSC大阪校26期生として
プロの道へと進みました。
この時期に出会った
山下吉宗さんとコンビを結成し、
「はだか電球」として活動を
始めることになります。
NSCは正式な学歴とは見なされませんが、
芸人としての基礎を学んだ職業訓練機関として、
本人の経歴に明確に含まれます。

コンビ結成について詳しく言及している情報はありませんが、
相方の山下吉宗(山下正和)さんとは同い年で同じ大分県出身という共通点があります!
芸人〜落語家としての活動経歴まとめ

後藤征平さんは、
お笑い芸人としてのデビューを皮切りに、
落語家への転向という
大きなキャリアチェンジを経て、
独自の表現スタイルを築いてきました。
ここでは、それぞれの時代ごとに
活動の軌跡を時系列で整理します。
漫才コンビ「はだか電球」としての活動(2004年〜2010年)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| コンビ名 | はだか電球(ボケ担当) |
| 結成年 | 2004年5月 |
| 相方 | 山下吉宗さん(当時大学生 素人出身) |
| 主な実績 | M-1グランプリ準決勝進出(2004年・2007年) ABC新人賞受賞(2005年) |
| 活動中断 | 2005年前後、相方の学業専念により一時休止 |
| ピン活動 | 「後藤レクイエム」名義でR-1ぐらんぷり2006年準決勝進出 |
| 解散 | 2010年7月 |
NSC在学中に結成された「はだか電球」は、
結成からわずか半年でM-1グランプリ準決勝に
進出するなど、早くから注目を集めました。
しかし相方が学生であったため
活動が不安定となり、
その間、後藤さんは単独での舞台にも
積極的に立ち続けていたようです。
そんな後藤征平さんに解散後、
芸の方向性を変える転機が訪れます。

解散理由については公式に発表していないようです。
ただ一部のウワサでは落語への傾倒、相方の進路、賞レースでの壁など様々な考察が過去になったようですよ!
落語家「月亭太遊」としての転向と活躍(2010年〜2025年)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 入門 | 2010年12月12日、月亭遊方に師事 |
| 落語家名 | 月亭太遊(桂米朝一門の系譜) |
| 所属 | 上方落語協会(2010年〜2025年3月) |
| 特徴 | 新作落語・地域文化を題材にした演目を多く創作 |
| 主な演目 | 「たまげほう」「山城ヨチムーランド」「キリシタン落語」など |
| 映画出演 | 『治療休暇』『鬼が笑う』『神さまの轍』ほか |
| 表彰歴 | NHK新人演芸大賞決勝進出(2013年)ほか |
| 地域貢献 | 京都府住みます芸人(2013〜2017) その後大分県にUターン |
芸人としての経験を土台に、
後藤さんは落語家へと転身。
伝統にとらわれず、新しい切り口で
地域文化や社会を描く作品を発表してきました。
なかでも「キリシタン落語」など、
郷土・竹田市の歴史を題材にした演目は、
本人ならではの
創作スタイルとして高く評価されています。

「キリシタン落語」とは
「もし当時、こんなキリシタンがいたら?」という落語らしい滑稽味を交えて描いていますよ
上方落語協会脱会と現在|「ひょうきんなおっさん」としての活動

落語家としての
実績を重ねてきた後藤征平さんは、
2025年に一つの大きな決断を下します。
所属団体を離れた後も創作活動は継続され、
新たな名義での発信も始まりました。
その背景と現在の活動内容を見ていきましょう!
上方落語協会からの脱会とその理由
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 脱会日 | 2025年3月 |
| 所属終了 | 上方落語協会・吉本福岡支社(エージェント契約含む)との関係を解消 |
| 名義返上 | 落語家名「月亭太遊」を返上 |
| 理由(公式) | 政治的発言に対する外部からの苦情・嫌がらせが団体に及んだため |
| 本人の意向 | 芸事(落語など)・発言活動は継続する意思を表明 |
後藤さんは、これまでの
落語家としてのキャリアを自ら断ち、
「月亭太遊」の名前も
手放すという決断をしました。
理由としては、発信内容に対する
外部からの反発が所属団体へ
向けられたことが大きく、
結果的に、独立して表現活動を
続ける道を選んだことになります。
この経緯は複数の
一次ソースで裏付けられています。
新名義「ひょうきんなおっさん」と現在の活動
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 新たな名義 | ひょうきんなおっさん(表記:剽軽奈 乙燦) |
| 活動形態 | フリー(事務所無所属) |
| 拠点 | 大分県竹田市 |
| 主な活動内容 | 新作落語の創作・地元イベント出演・社会的メッセージを込めた芸事など |
| SNSでの姿勢 | 社会問題や差別に対する積極的な発信、地域との対話 |
| 特徴 | 伝統的な芸道に縛られず、個人としての表現を前面に出すスタイル |
現在は、竹田市を拠点に
地域密着型の表現活動を続けています。
名義変更後も落語を
軸にした芸事に取り組みながら、
SNSを通じて自らの信念や
社会的な意見を発信する姿が目立ちます。
「ひょうきんなおっさん」という肩書きは、
ユーモアと風刺を融合したキャラクターであり、
後藤さんが目指す「自由な表現」の
象徴ともいえる存在です。

引き続き大分県を拠点に活動し
noteやYouTubeでも発信をしているようです!
後藤征平さんの後輩にあたる芸人であり
M-1グランプリ2025で優勝した
「たくろう」
同じくボケ担当をしている
赤木裕さんについて
詳しく解説をした記事もあります!

後藤征平(月亭太遊)のwiki経歴!生い立ちから出身高校や大学までを徹底解説!まとめ

【ここまでのまとめ/この記事で分かること】
- 後藤征平さん(元・月亭太遊)は大分県出身の元落語家で、現在は「ひょうきんなおっさん」として活動中
- 出身高校は大分県立緒方工業高等学校(2008年閉校)で、大学には進学せず芸人養成所NSCに入学
- 漫才コンビ「はだか電球」での活動を経て、2010年より落語家に転向し「月亭太遊」として活躍
- 2025年に上方落語協会を脱会後、フリーで活動を継続。現在は地元・竹田市を拠点に創作を続けている
後藤征平さんの人生は、いわば
「型にとらわれない芸人の道」と言えます。
高校卒業後すぐにNSCへ飛び込み、
芸人から落語家へ。
伝統の中で新たな笑いを
生み出してきたかと思えば、
団体を離れて独立した表現者へと変貌。
この流れは一貫して
“自分らしさ”を追求する姿勢に支えられています。
名前を変えても、
舞台に立ち続け、言葉を発し続ける。
その姿は、まさに
表現者としての芯の強さを体現しています。
「月亭太遊」という名前があったからこそ、
今の「ひょうきんなおっさん」がありますね!
経歴だけでは語り尽くせない、
唯一無二の道を進み続ける人物として
今後も活躍をしていくことでしょう!

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